ヘレンドのコレクションは、約25年かけて集めました。
たくさんある磁器の焼き物の中でヘレンドに出会ったのは25年前です。その頃は刺繍を教えており、刺繍は一針一針、ヘレンドは一筆一筆手書きで、絵柄も自然の花や動物で、何か刺繍とよく似たところがあり大変感動しました。
それからヨーロッパを旅したとき、ロンドン、ウィーン、ブタペストなどで、珍しいヘレンドを見つけては買い求めました。
旅をともにした思い出の器です。
ヘレンド村にも何度か尋ねたことがございます。
田園風景の中にポツンとヘレンドの陶磁器工房があり、とても美しい村でした。村人のほとんどがヘレンドの仕事に携わっているそうです。
ハンガリーは刺繍の宝庫でもあり大好きな国です。
そんなヘレンドのカップで、ケーキとお茶をどうぞお楽しみください。
cafehouse HEREND店主 松田 恵美子
英国ウィリアム王子のご結婚の際、引き出物に使われたのが、名高いティーセットブランド「ヘレンド」です。
当店のシンボルでもあるこのブランドは、どのようにして現在の評価を得ているのでしょうか。
開窯は19世紀の1826年、ハンガリーの首都ブダペストの南西約120km、自然が美しい中央ヨーロッパ最大の湖として有名な、バラトン湖の北方にあるヘレンド村で誕生しました。
1839年、先見性のある経営者、モール・フィッシャーの登場によりヘレンドは陶器から磁器生産への道を歩み始めました。
ヨーロッパの伝統的な磁器絵付けの手法にハンガリー独自の味付けを施した新しいパターンの開発を積極的に進め、1842年に開催された第一回ハンガリー産業博覧会に新作を出展し、ここでヘレンドのレベルの高さに人々が注目を集め、一躍有名になったそうです。
1851年、ロンドンのクリスタルパレスで開催されたロンドン第一回世界万国博覧会で、大英帝国君主のヴィクトリア女王がウィンザー城のディナーセットをヘレンドに注文しました。これによってヘレンドの名はヨーロッパ中に広まりました。
中国風のこのパターンは、それ以降「ヴィクトリア」と呼ばれ、各地の王侯貴族から数多くの注文が舞い込むことになったのです。
当時の経営者であるモール・フィッシャーについては、こんな逸話も残っています。
ある日、サルディニアの王が中国産の高級骨董陶磁器の修復を依頼してきました。
フィッシャーは1年以上の間、食器の修復に試行錯誤し、修復に成功します。
しかし、心配性だったフィッシャーは自身の作品である、いわば「偽物」に自信がもてなかったため一計を案じました。
城に着いたフィッシャーは王の前に「本物」の中国製陶磁器を並べました。
並べられたものを「偽物」だと思い込んでいた王や臣下達は、さっそくその陶磁器を散々に批判します。
しかしフィッシャーが真実を明かすと、一本とられた王はフィッシャーの技術を賞賛し、この逸話はヨーロッパ中に広まったのでした。
ヘレンドの名声は年ごとに高まりました。
当時ハンガリーを統治していた“貴族の中の貴族”ハプスブルグ家のフランツ皇帝もまたヘレンドを愛し、モール・フィッシャーは貴族の称号を与えられるにいたりました。
「ウィーンの薔薇」や「パセリ」、「インドの華」など様々な作品を世に送り出し、ヨーロッパ貴族達のティータイムを彩ってきました。
そんなヘレンドで、あなたもお茶を楽しみませんか?